寝そべり族(躺平/タンピン)と逸民・隠逸

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現代に甦った古の生き様?

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 ぼつぼつと「王敦伝」の現代語訳に取り組んでいる。やはり、長い時間が掛かりそうだ。大学生の頃に勉学をおろそかにしていた報いだね。しゃーない。で、思うに任せぬ漢字変換にイライラしながら『晋書』と向き合いつつネットの情報を眺めていたら、何の弾みか、寝そべり族なる言葉を目にした。記事を読んでみると、今年の五月あたりから(?)中国で話題になっている若者の生活様式の一つらしい。史書に少なからず触れている身としては、すぐにピンときたね。逸民だとか隠逸の士だとかが。

 寝そべり族(躺平と書いてタンピンと読む)とは、結婚せず、子を儲けず、家や自動車を買わず、積極的な労働も消費活動もしない若者たちを指す言葉だそうだ。彼ら彼女らは必要最低限の収入で日々を送り、いわゆる「普通の暮らし」を望まないとのこと。現代社会の価値観・常識とは対極の存在だと表現するのが適切かもしれない人々だ。そして、古代の中国にも同様に、世俗に背を向けて己の生き方を貫く民がいた。富貴も要らぬ、名も要らぬ。珠を抱きて濁世を、横目に見つつ野や山に、隠れて生きる者たちが。当時の社会において重視された物事に敢えて同調せず、山野(時代が下ると市井)に逃れて生きる――そんな人物が逸民、あるいは隠逸の士と呼ばれた。

 その頃の価値観に基づくと、徳を修めた人として周囲に尊敬されたり、官途に就いて栄達することや文人として天下に名を轟かせたりすることは大多数の人間が願う生き方だった。しかし、逸民あるいは隠逸の士は、それを拒否した。貧しい生活を送ろうが、他人に辱められようが、意に介さなかった。あくまでも、自分の生き方を曲げない。人によっては軽佻浮薄な世の流れを風刺する場合もあったみたいだけれど、大半は世俗を糾弾する訳でもない。とにかく、己の道を歩み続けた。有名人では、詩人の陶潜(陶淵明)なんかがいる。全員が全員そうじゃないんだけれど、逸民・隠逸の士に関する伝を読んでいると、怒りや不平不満の感情を全く表に出さなかったり、貧しい生活を苦にしなかったりという記述が盛んに現れる。

 で、こういう人々がどうして寝そべり族(躺平)につながるのか。それは、社会への態度に共通項があるからだ。何が同じかって、

「俺には俺の人生がある。社会の皆様方に歯向かうつもりはないから、俺を無理やり社会通念で縛らないでくれ」

という姿勢だ。社会に対して不平不満がある、だから変革だ革命だ、なんて生き方とは異なる。ましてや俺を受け容れない世界なんて破壊してやろう、みたいにヤバい思考回路でもない。つーか、寝そべり族にせよ逸民・隠逸の士にせよ、知る限りでは反社会的な活動などしていない。非社会的な生き方だというだけ――などと、昔読んだ澁澤龍彦の本に書いてあった「反道徳」と「非道徳」の表現をドヤ顔で真似てみる。ともあれ、両者に違いがあるとするならば、その生き様が現代だと糾弾されて古代では称賛されたということ。それのみだ。まあ、細かいこと言い出すと逸民・隠逸の士はガチもんの貧乏人から妻子持ちかつ土地持ちまでピンキリだから、そっくり丸ごと寝そべり族と同じじゃないんだけどさ。あと、不安定な社会情勢や戦乱の世を避けて、という場合があるし。後漢から魏晋南北朝にかけてはそういうケースが多い。しかしながらだね、逸民・隠逸の士を寝そべり族の先達として捉えるのは、あながち間違いじゃないと思うんだよ、個人的には。ああ、俺も俗世を離れて生きてぇ。酒代を稼げぬ心配があるから実行には移さないんだけどさ。

 ついでに一つ、疑問点。ネット上の記事によると、寝そべり族(躺平)と最初に言い出した人は、おそらくディオゲネスを念頭に置いて、

「古代ギリシャの哲学者のように寝そべって生きよう」

とコミュニティサイトに書き込んだらしい(?)けれど、何で自国の歴史に範を求めなかったのだろうか。現代中国では、歴史や古典への関心が薄いのかな。どなたか事情をご存知ならば、ご教授願いたてまつる。

 

 

 

 

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