『晋書』 王敦伝そのⅢ

巻物書物
書物
スポンサーリンク

雲行きが怪しい

 今回の書き下しは非常に苦労した。正直なところ、精度はかなり低いんじゃないかと思われる。現代語訳も意訳しまくり。上奏文は嫌いだよ。無駄に言葉を飾ってさ。まあ、ぐちぐち言っても始まらぬので、本題に入りますか。この辺りから、王敦と朝廷の間に齟齬が見られるようになってくる。

<書き下し文>

 時に劉隗の事に用いられ、頗る王氏を疎間し、導等は甚だ之を不平とす。敦の上疏して曰く、
「導は昔殊寵を蒙り、委ねらるるに事機を以てし、己を虚しくして賢を求め、誠を竭(つく)し国に奉じ、遂に恩私に藉(よ)り、輔政の重に居る。帝王の体は遠く、事義は同じからずして、皇極の初めて建ち、道教は方に闡(ひら)かんとするに、惟新の美、猶闕(か)く所有り。臣は毎(ことごと)に遐遠に慷慨し、門宗に愧憤し、是を以て前後に表疏するも、何ぞ嘗て言を寄せざること此に及ぶか。陛下未だ少しく顧眄を垂るること能わずんば、臣の微懐を暢べん、導頃(この)ごろ疎外せらると云い、陳ぶる所は昨(きのう)のごとく、其の萌し已に著わるるも、其の咎責と為るは、豈に惟だに導の身のみならんや。群従の蒙る所、並びに才分に過ぐ。導誠に自ら量ること能わざるも、陛下亦愛して其の短を忘る。常人は情に近くんば、恩を恃みて昧進し、独り龍鱗を犯し、迷いて自ら了(さと)らず。臣の窃かに自ら憂慮する所、未だ由る所詳らかならざるも、惶愧踧踖し、情は灰土のごとし。天下の事は大にして理を尽くすは実(まこと)に難く、導は凡近と雖も、未だ穢濁の累有らずして、既往の勲、疇昔の顧、情好の綢繆、以て薄俗を厲し、君臣を明らかにし、徳義を合わせ、古賢に同じくするに足る。昔臣は親しく嘉命を受け、云く、
『吾は卿及び茂弘と当に管鮑の交わりたるべし。』
と。臣は外任を忝(かたじけな)くし、漸冉すること十載にして、訓誘の誨、日に忘るる所有れど、斯の命に至りては、之を心に銘じ、窃かに猶眷眷とし、謂(おも)えらく前恩一朝にして尽くすを得ずと。
 伏して陛下の聖哲日を新たにし、広く俊乂を延(まね)くを惟(おも)うに、之に臨むに政を以てし、之を斉(ひろ)めるに礼を以てす。頃者(この)ごろ導をして内に機密を綜し、出でて尚書を録し、京都を杖節し、六軍を并統し、既に刺史と為り、重号に兼居せしむるは、殊に人臣の体に非ず。流俗は評を好めば、必ず譏謗有らん。宜しく録尚書・杖節都督を省くべし。且つ王佐の才、当に宏達遠識にして、高正明断し、道徳優備なるべき者、臣の闇識を以てして、未だ其の才を見ず。然れば人を見るに於いて、未だ導を踰えず、加えて輔翼積年にして、実に心力を尽くす。覇王の主の、何ぞ嘗て賢に任せ能くせしめ、共に相終始せざるや。管仲は三帰反坫の譏有り、子犯は河に臨んで君に要(もと)むるの責有り、蕭何・周勃は罪を得て囹圄し、然れど終に良佐と為る。導の才を以て、何ぞ能く失無からんや。当に任じて分を過ぎず、其の長ずる所を役し、功を以て過を補い、之を将来に要(もと)めしむべし。導の性は慎密にして、尤も能く事を忍び、斟酌を善くし、文章は才義有り、動静顧問、予(かね)て聖懐を起こし、外に過寵無く、公私は所を得ん。今や皇祚は肇(はじ)めて建ち、八表風を承けるも、聖恩終わらずんば、則ち遐邇は失望せん。天下荒弊し、人心動き易く、物は一を聴きて移り、将に疑惑を致さんとす。臣は敢えて苟(いやしく)も親親に私するに非ずして、惟だ社稷に忠ならんと欲するのみ。」
と。表至り、導は封じて以て敦に還すも、敦は復た遣わして之を奏す。

<現代語訳>

 当時、劉隗は元帝に用いられ、しきりに帝と王氏との関係を疎遠にしたので、王導たちは甚だ不満を抱いた。そこで王敦が上疏して言った。
「王導は昔、特別な寵愛を蒙って機密を委ねられ、自分を虚しくして賢者を探し求め、誠を尽くして国に奉仕し、遂には陛下の個人的な恩寵によって輔政の重責を担う地位に就きました。外から見る帝王のお姿は遠く、行為とその意味するところとは同一でなく、陛下が即位なさって道徳の教えが開かれようとするに当たり、維新の美にはまだ欠ける所があります。私は遠い場所で悲憤慷慨し、一族に恥じ、こういう理由で何度も上疏したのですが、どうして一度も言葉をお寄せにならないことが今日まで続いたのでしょうか。陛下が少しでも顧みてくださることが未だに可能でないならば、私の取るに足らない思いを述べましょう。王導は最近、疎外されていると言われます。述べる言葉は過去のことのように扱われ、その兆候は既に現れていますけれど、咎めを受ける結果となるのは、どうして王導だけの責任でしょうか。陛下に従う者どもが受ける寵愛は、どれもその才能や立場からして過剰です。王導は確かに自らの力を量ることができなかったものの、陛下もまた以前は王導を寵愛してその短所を忘れていました。普通の者は君主の気持ちに近ければ、その恩を恃みにして突き進み、それで君主の感情を逆なでするだけとなり、判断を誤って自分で非を悟りません。私が心中ひそかに憂慮することは、まだその原因こそはっきりしないものの、私は恐れ恥じてためらい、気持ちが灰か土のようになっています。天下の事は大きくて道理を尽くすのは実に難しく、王導は平凡で卑近な者ですけれど、まだ悪評のある係累はおりませんし、かつての功績や恩顧、陛下との心情的な結び付きは軽薄な世俗を励まし、君臣の関係を明らかにし、徳や正義に合致し、古の賢人と等しくなるのに充分です。昔、私は陛下から親しくお言葉を受け、
『私はあなた(王敦)や茂弘(王導)と、管仲と鮑叔のような交わりを結ばなくてはいけない』
と言われました。私はかたじけなくも朝廷の外での任を授かり、十年の月日が過ぎて陛下からの訓戒は日ごとに忘れていますけれど、このお言葉については肝に銘じ、なお心中ひそかに陛下を慕い、恩返しは一朝一夕に行い尽くせないと思っています。
 知徳に優れて道理に明るい陛下のお振舞いが日に日に新しくなり、広く優秀な人材を招くご様子について考えますと、そうした人材を判断なさる際は政治を基準にし、治めなさる際は礼を基準にしていらっしゃいます。近頃、王導に内々では機密をまとめさせ、朝廷では尚書を監督させ、都の守備を任せると同時に六軍をも指揮させ、刺史の位を与えて様々な役職を兼任させています。これは、臣下の者を遇する処置とはとても言えません。世間の者は噂を好みますので、必ず誹謗中傷が起こるでしょう。王導から尚書に関わる権限と軍権を省くのが良いでしょう。一方で、広く高い知力と長期的視野、公正で明晰な判断力、優れた道徳を備える王佐の才と呼ぶべき者は、臣の乏しい見識からすると、まだ目にする機会がありません。そういう訳で、目に入る人を判断すると誰一人として王導の能力を超えていませんし、王導には長年に渡り陛下を補佐した実績がある上、本当に心の限り力の限り陛下に尽くしています。覇王の君主で、どうして今まで賢臣に任せてその能力を発揮させ、君臣共に一体とならなかった者がいるでしょうか。管仲にはその奢侈を非難する三帰反坫の誹りがあり、子犯(狐偃)には黄河に臨んで(暗に)功績への報いを君主(晋の文公)に求めた責めがあり、蕭何・周勃は罪を得て牢獄に繋がれましたが、最終的には君主の良き補佐役になりました。(こうした歴史上の名宰相に比べれば劣る)王導の才能では、どうして過失が無い状態でいられるでしょうか。王導を任用してもその力量に過ぎる地位は与えず、その長所を使役し、功績で過失を補い、将来は名宰相たちのようになること求めさせるべきです。王導の性格は慎み深くてきめ細かく、何よりも仕事の苦難に耐えられますし、物事に妥当な処置を施すのが得意で、文章を書くことでは才能や道義があり、その振舞いと質問への受け答えは前もって陛下のお心を掻き立て、外に対しては過度の寵愛が無く、公私とも補佐役に適切でしょう。現在、皇祚は建てられたばかりでして、全世界が陛下の恵みの風を受けているものの、その恩寵が終わらなければ遠近の者たちは(恩賞の大盤振る舞いへの反発から陛下の政治に)失望するでしょう。天下は荒弊し、人の心は移ろいやすく、物事は一を聞いて動き、それが疑惑を招く事態になろうとしています。私はかりそめにも積極的に身内びいきをする訳ではありません。ただ社稷に忠実でいたいと望むだけです。」
上表が朝廷に届くと、それを見た王導は封をして王敦に返却したが、王敦は再び使者を派遣してこれを上奏した。  

 

 

 

王敦伝まとめに戻る

 

 

にほんブログ村 本ブログ 歴史書へ
にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました