『晋書』 王敦伝そのⅧ

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王導からの手紙

 少し間が開いたものの、何とか訳し終えた。王敦伝も終わりが見えてきたという感じだ。で、今回も謎の人物が出てくる。多分、王含の子の一人なんだけどさ。誰だよ仲玉って。ま、それはそれとして、王導が王含に手紙を送る。明帝の詔と同様、王敦軍の内部分裂を狙ったものだ。銭鳳だけ罪に問われているのは、おそらく手勢が少ないからじゃないかな。鄧嶽や周撫みたいに一軍を率いている手合いには、甘い言葉で投降を促してるし。こういう「罪を許すから降参し(て他の賊どもを攻め)ろ」という古代中国版司法取引は、歴史書にわんさか出てくる。現代人の感覚からすると理解しかねるだろう。けれど、そういう時代だったと思ってほしい。

<書き下し文>

 含の江寧に至れば、司徒の導は含に書を遣わして曰く、
「近く大将軍の困篤緜緜たるを承け、或いは已に不諱有りと云い、悲怛の情、自ら勝(た)えること能わず。尋(つ)いで銭鳳の大いに厳にし、姦逆を肆(ほしいまま)にせんと欲するを知り、朝士は忿り憤り、扼腕せざるは莫し。去る月二十三日、征北の告げるを得て、劉遐・陶瞻・蘇峻等は深く憂慮を懐き、謀らずして辞を同じくす。都邑大小及び二宮の宿衛は咸(みな)が往年の掠と復た其の妻孥を保たざることの有るを懼れ、是を以て聖主は赫斯(いかり)の命を発し、具えること檄旨のごとし。近々嘉詔の有りて、兄を崇(たっと)びて八命とすれば、兄の群賢忠義が心を奨め、姦細不逞の計を抑え、当に武昌に還り、力を盡して藩任すべきことを望む。卒(にわ)かに来告を奉じ、乃ち犬羊と倶に下るを承く。当に逼迫すべしと雖も、猶(なお)以て罔然たり。兄の立身は率素にして、門宗に信明せられ、年は耳順を踰(こ)え、位は人臣を極め、仲玉・安期は亦た佳を作(な)すに足らざるの少年なれば、本来の門戸は良(まこと)に惜しむべし。
 兄の此の挙、謂(おも)えらく大将軍の昔年のごときが事を得べきかと。昔年は佞臣の朝を乱し、人は不寧を懐き、導のごときの徒は心に外済を思う。今は則ち然らず。大将軍の来たりて于湖に屯したれば、漸く人心を失い、君子は危怖し、百姓は労弊す。将に終わらんとするの日、重を安期に委ねる。安期は乳を絶ちて未だ幾日ならずして、又時望に乏しければ、便ち宰相の迹(あと)を襲うべきか。開闢より以来、頗る宰相の豎子なる者の有るや不(いな)や。諸々の耳有る者は皆(みな)是(これ)将に禅代の意ならんとし、人臣の事に非ざるなり。先帝の中興、遺愛は人に在り。聖主の聡明、徳は朝野に洽(あまね)く、賢哲と艱難を弘済せんことを思う。北面せずして臣節を執り、乃ち私に相(あい)樹建し、肆に威福を行うこと、凡そ人臣に在らば、誰か憤り歎かざらんや。此れ直(ただ)銭鳳が不良の心の遠近に聞こえ、自ら地の無きを知り、遂に姦逆を唱えるのみなり。鄧伯山・周道和のごときに至りては恒(つね)に好情の有りて、往来・人士は咸(みな)皆が之を明らかにし、方(まさ)に委任せんと欲し、与(とも)に共に力を戮(あわ)せるは、徒(ただ)に慮り無きのみに非ざるなり。
 導の門戸は小大とも国の厚恩を受け、兄弟の顕寵は隆と謂うべし。導は武ならずと雖も情は国を寧(やす)んずるに在り。今日の事、目を明らかにして膽(きも)を張りて六軍の首(はじめ)と為り、寧ろ忠臣として死すとも、無頼として生きず。但(ただ)恨むらくは大将軍の桓・文の勲を遂げざるのみにして、兄の一旦逆節の臣と為り、先人の平素の志に負(そむ)かば、既に没するの日、何の顔をもって諸父と黄泉に於いて見(まみ)え、先帝と地下に謁せんや。来告を執り省(み)て、兄が為に之を羞じ、且つ悲しみ且つ慚(は)ず。願わくば速やかに大計を建て、惟(ただ)銭鳳一人を取り、天下をして安を獲らしめば、家国に福有りて、故(もと)より是(これ)竹素の事なれば、惟に禍を免れるのみに非ず。
 夫れ福は手を反すがごとく、之を用いれば即ち是(ぜ)なり。導の統べる所の六軍、石頭の万五千人、宮内後苑の二万人、護軍は金城に屯(たむろ)して六千人、劉遐は已に至り、征北は昨(きのう)江を済(わた)りて万五千人なり。天子の威を以て、文武とも力を畢(つく)さば、豈に当たるべけんや。事は猶追うべく、兄よ早く之を思え。大兵の一奮、導の以為(おも)えらく灼炟なり。」
と。含は答えず。

<現代語訳>

 王含の軍が江寧に至ると、司徒の王導は王含に手紙を送り、
「最近、大将軍(王敦)が重体に陥っていると伺っています。あるいは既に亡くなっているという風聞もあり、悲しみに耐えられません。それから銭鳳が厳戒態勢を敷き、身勝手な反乱を起こそうとしていると知って朝廷の人々は怒っており、切歯扼腕しない者がいない状態です。先月二十三日、征北将軍(王邃か?)の報告を聞き、劉遐・陶瞻・蘇峻達は深く憂慮を抱き、偶然にも同じことを言っています。都や地方の民、及び二つの宮殿の宿衛は、全員が往年の略奪や妻子の安全を全く保てないような事態の起きるのを恐れていて、そういう理由で聖主(明帝)は王者の怒りの命令を発しなさり、その反逆に備える様は触れ文の内容のとおりです。近々めでたい詔が下され、兄(王含)を尊重して州牧に任命することが決まっていますから、あなたは群賢や忠義の者の心を励まし、邪で不逞な計画を抑え、軍勢を武昌に帰還させて力の限り外藩の任を全うするべきだと私は望みます。あなたが不意に都へ来る旨を朝廷に告げ、犬や羊のようにつまらぬ者どもと共に長江を下っていることを伺いました。きっと状況に迫られてとは思いますけれど、やはり配慮に欠けた行為です。あなたの身の処し方は率直で飾り気がなく、あなたは一族の者に信用され、年は六十を超え、位は人臣を極めており、その一方で仲玉や安期(王応)は立派な行為を為すにはまだ年若いですから、あなたの一家の将来を思うと本当に残念でなりません。
 あなたの今回の挙兵は、思うに大将軍がかつて為したことと同様の結果をもたらすでしょうか。あの当時は佞臣が朝廷を乱し、人々は不安を抱いていて、私のような者が心の中で外部からの救済を願いました。しかし、今はそうではありません。それに大将軍が来て于湖に屯したところ、次第に人心を失い、君子は危険と恐怖を感じ、民衆は疲弊しました。また大将軍は命尽きようかという際に重責を安期に委ねました。安期は乳離れして幾日も経っていない幼児のように若年で、加えて時望にも乏しいですから、すぐに宰相の位を継げるでしょうか。天地開闢より今日まで、若僧でありながら宰相になった者など頻繁に現れたでしょうか。耳の有る者は誰もが皇帝に禅譲を迫ろうという考えからだろうと思っていて、これは人臣のする行為ではありません。先帝の中興は、崩御の後も人々に仁徳を残しました。聖主の聡明さは、その徳が朝廷と在野にあまねく行き渡るほどで、賢哲と共に国家を艱難から救おうとお考えです。北面せずに臣下の礼を為し、個人的に仲間を引き立て、勝手気ままにに賞罰を行うなどの悪行は、およそ人臣であるならば誰が怒り嘆かないでしょうか。この問題の原因は、遠近に邪な性根の聞こえている銭鳳が自らの依る所の無いのを知って、最終的に姦逆を唱えただけのことに過ぎません。鄧伯山(鄧嶽)や周道和(周撫)のような人物に至っては、いつも国家に対して好感情を持っており、道行く人々や庶民、身分の有る者は皆がそれを証しており、朝廷もまさに重大事を委任しようと考えていますから、(王含たちと朝廷が)共に力を合わせるという発想は、単に浅い考えというだけの話ではありません。
 私の一家は老いも若きも国の厚恩を受けていますので、兄弟が高位に就いて寵愛されている点では隆盛だと言えるでしょう。私は武人でないものの、国を安寧に導きたいという願いはあります。今日の事態については、目を見開き、心を昂らせて六軍の先鋒となる所存で、忠臣として死ぬとしても、無頼となって生きようとは考えていません。ただ残念なのは大将軍が斉の桓公や晋の文公に匹敵する勲功を成し遂げられなかったことだけで、あなたが一旦は逆節の臣となり、もしも父祖が存命中の志に背くような行為に走るならば、死を迎えた際、どんな顔で黄泉の先祖と会い、死後の世界で先帝(元帝)に謁見しようというのでしょうか。あなたがやって来るという報告書を手にして細々と文面を読み、あなたの為に恥じ、一方では悲しみ、一方では恥を覚えます。どうか速やかに大計を打ち立てて、ただ銭鳳一人を殺して下さい。そうして天下に平安を得させれば国家には幸福が訪れますし、これは元来歴史に名を刻む行いですから、単に禍を免れるだけの話ではありません。
 そもそも幸福とは掌を反すようなもので、私の意見を用いればすぐに良い結果がもたらされます。私の統べる六軍、石頭にいる一万五千人の兵、宮内後苑にいる二万人の兵、金城に駐屯する護軍将軍(応詹)の率いる六千人の兵、劉遐が都に至り、征北将軍は昨日長江を渡っていてその兵力は一万五千人です。天子の威をもって文官と武官が力を尽くしたなら、どうしてこれに立ち向かえるでしょうか。まだ間に合いますから、あなたは早く利害を弁えて下さい。大兵力が一度奮闘するとなれば、あなたのために焦らずにはいられません。」
と伝えた。王含は返事を書かなかった。

 

 

 

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