末代の賢王

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堀河天皇について

 年末に書籍を注文した。現在、その内の一つである『讃岐典侍日記』を読み進めている。『 讃岐典侍日記』については日を改めて語るとして、今回はその『讃岐典侍日記』に崩御の様子が記され、讃岐典侍最愛の人であると同時に「末代の賢王」とまで讃えられた堀河天皇について、少々書き記す。

 歴代天皇さまざまだけど、学を好み、詩歌管弦に親しみ、もののあわれを解した天皇は十指に余る。かてて加えて、民に思いやり深く慈愛に満ちた天皇も数多い。現皇室の美風は、こうした歴史の積み重ねによるものだろう。で、今日の主題である堀河天皇について述べると、為人(ひととなり)の面でひときわ優れていたようだ。『讃岐典侍日記』が書き記されたのは堀河天皇を追慕するためであったし、『発心集』に見える蔵人所衆の逸話もそれを証している。堀河天皇が政務に熱心だったことや音楽に情熱を傾けていたのは『続古事談』に詳しいらしいけれど、当記事ではそれに触れず、『発心集』の逸話について記しておきたい。

西の海に大龍になりておわします

 蔵人所衆というのは、蔵人所と呼ばれる役所で雑事(御所のすす払い役?)を担った六位の官人を指す。で、『発心集』によると、その蔵人所衆に、ある男がいたそうだ。その者は身の栄達も願わず、ただただ堀河天皇に(蔵人所衆として)仕えることだけが生き甲斐だった。堀河天皇が崩御すると出家はしたものの、蝉の抜け殻のような、生きているとも見えない(いわゆる生ける屍)状態になり、いつも神仏に対して堀河天皇が(輪廻転生して)どこに生まれ変わったのかを教えてほしいと祈っていたらしい。時を経て、堀河天皇が西の海の大龍に生まれ変わったという(お告げの)夢を見ると、喜び勇んで筑紫(福岡県)に向かい、東風の吹く日に船出して、ついに行方知れずになったという。

 この蔵人所衆の男は、変則的だけれど殉死を遂げたと見なしていい。特別の寵愛がなくとも、臣下が己の死を悼んで命を捧げてくれる。君主として、これに過ぎた誉れはあるだろうか。堀河天皇には、よほど人を魅了する美点があったと考えるのが妥当だ。後世の人間に「末代の賢王」と評されたのも宜なるかなというところ。忠君愛国を喧伝する訳ではないけれど、この話、所謂「まごころ」の例として現代でも語り継ぐ価値はあると思うが、どうだろう。無論、自ら命を絶つことに賛成という訳じゃない。当方の信条はその逆だ。そうでなくて、命と引き換えにしてでも「まごころ」を捧げたいと願う人に出会えることの素晴らしさを伝える逸話としてだ。

 

 

 

 以下余談。歴代天皇の中でも、こういう天皇には興味が湧く。目下、興味があるのは花園天皇だ。いずれ機会があったら調べてみたい。『花園天皇宸記』の現代語訳、安価で手に入らんかなあ。

 

 

 

 

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