知らない間にたまるもの

よもやま話
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ゴミ出しをして考えた

 ここできっぱり「お金」だと、答えられれば生活にあくせくせずに済むんだけれど、思うに任せぬ人生だから、溜まるのは別の何かだ。色々事情があって引っ越すことになった。で、あれこれゴミを片付けりゃ、出てくるわ出てくるわ。不要物が。当初の見立てよりもゴミ袋が必要になった。今住んでいる自治体は、専用ゴミ袋を購入せにゃならない。片付けるにも、当然ながら金はかかる。自分では溜めたつもりがないものの、引っぱり出せば大量のゴミ。それだけ長く現住所で日々を過ごしていた訳だ。そんな時だよ。ふと、思い出も知らず知らずのうちにこうやって溜まっていくのかもなと感じたのは。

ゴミと思い出

 ゴミと思い出を一緒くたにするなと、お𠮟りを受けそうだ。ごもっとも。こちらとしても、両者が等価値だと言いたいんじゃないからね。あくまでも、似た面があると表現したいだけだ。ただねえ、いつか整理しようと思って意識の外に遠ざけていたゴミと向かい合ってたら、思い至ったんですよ。良かれ悪しかれ、思い出と呼ばれるものも、日々の暮らしの中では意識に上ってこないと。ふとした拍子に甦るけれど、いつもは記憶の奥底に沈んでいると。

 当たり前と言えば当たり前の話で、人間の意識はある事柄に集中すると、別の何かについては考えなくなる。そりゃ、飯を食いながら今日の天気や明日の予定を考えたりはできるよ。しかし、それと同時進行で子供時代の夏休みや学生の頃のバカ騒ぎを思い浮かべるのは不可能だ。中断も一時停止もなしに複数の物事に思いを馳せるなど、人間の能力を超えてしまう。

 加えて、人は「今ここで」生きるのに必要な物事を優先して意識を働かせる。どうしたって思い出は後回しだ。「今ここで」生きることに関連して記憶が甦りこそすれ、そうでなければ普段は意識されない。必要ないからとしまい込んだゴミに何となく似ている。で、どちらも気が付けばたんまりと溜まっている。

 悪い言い方をすると、ゴミを捨てずにいたら、その人の生きた証になる訳だ。いや、だからってゴミを片付けないではいられないんで、結局は処分するんだけど。それでも、ゴミを前にして、これを手にした日は何があったか、回想するのも乙なんじゃなかろうか。特に、誰かの思い出と結びついたものなら尚更、捨てる前に過去を呼び覚ますのがいいと思う。ほとんど使わなかったステンレスの物干しざおを見ながら、そんなことを考えた。ところで俺、何でこんなものをニトリで買ったんだろ?

 

 

 

 

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