占われたとおりの未来

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※2021年2月の記事再録

占いの影響?

 グーグル検索で八重洲口とトップを争うこのブログ、遺憾ながらヤン・ヨーステンとは何のゆかりもない。それどころか、そもそも東京に縁がない。直近で行ったのは、エルグレコ展を堪能しようと東京都美術館に足を運んだ時だから、ずいぶん長いことご無沙汰だ。

 当たる当たらず脇に置き、未来占う言の葉の、流れは絶えず今もなお、テレビに映る今日の運勢。信じるか否かを問わず、一種の物語として捉えると、占いは面白い。ちょいとばかりお堅い言い方をすれば、歴史とは失われた過去に対する考察で、占いとは不確定な未来に対する考察であるというのが個人的な感想だ。

 で、まだ十代だった頃、どういういきさつかは忘れたけれど、野末陳平の『姓名判断』を手にした。当然ながら自分の姓名が該当する箇所を読む。何なの、このろくでもない運勢は。いいところなし。年齢を重ねるほど悪くなっていく。ふざけんな。

 当時は憤慨するだけで済んだが、こうしてオッサンになって人生振り返ってみると、まあその占いの当たっていること。曰く、人と衝突しやすい。その通り。曰く、不平不満を内に抱えて職が変わりやすい。そのとおり。曰く、家庭というものに縁が薄い。そのとおりだよ、コンチキショー。おかげで未だに嫁さんいねーよ。個人的にはこの本、お薦めだ。余人は知らず、自分にとってはピンズドな内容だから。まあ、有名な東洋占術である四柱推命という占いで運勢(命式と呼ばれるもの)を見ても宜しくない身なので、ある意味占いどおりの人間だよ、俺は。異なる占いなのに、どうしてこう、首尾一貫して悪い運勢と判断されるのかね、まったく。

 

 

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