国葬と吉田茂と日本国

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本日の連想

 ニュースで国葬という言葉を目にする。天皇や皇室関係を除くと、戦後では吉田茂以来らしい。吉田茂と聞いて個人的に連想するのはサンフランシスコ平和条約(またはサンフランシスコ講和条約)だ。多くの人が条約に署名する吉田茂の写真を教科書で見ているんじゃないかな。学校の授業だとあんまり深く触れられないけれど、この条約が持つ歴史的意義は大きい。

 第二次世界大戦によって、日本(というか明治以来の国民国家としての日本)は一度滅んだ。占領軍による統治で独立を失ったからだ。サンフランシスコでの条約調印によって、その失われた独立が回復された。日本の歴史は大掴みに分類すると、旧石器時代から江戸時代までの前国民国家(つまり領域としての)日本、明治から昭和二十年までの天皇を頂点とした国民国家である日本、そして再独立から現代までの国民主権の国民国家日本ということになる。いやほんと、条約調印日を祝日にしてもいいくらいだと個人的には思うよ。

 さて、独立を「回復」した時、日本という呼称は残った。これ、戦前の日本と現代の日本に連続性が存在する証拠の一つでもある。こじつけじゃないよ。日本人にはピンとこないけれど、国号というのは以前の国と今の国との関係を如実に表すものだ。例を挙げよう。中国だと、名目上は同じ血筋の君主がトップなのに、(南)斉と梁で国号が違う。神聖ローマ帝国最後の皇帝フランツ二世は、オーストリア帝国初代の皇帝フランツ一世になった。国号が違うっていうのは、過去と現在に断絶があるってことの証しだ。梁もオーストリア帝国も、国号を変更して過去の国とは繋がっていないと宣言していると見ていい。昔は昔、今は今っていう態度だね。ここで触れるのが妥当かどうか分からんけど、日本に近いところでは、韓国が大韓帝国の後継国家という発想から大韓民国と名乗っているのに対し、北朝鮮は大韓帝国と繋がっていないという立場からあの長い名前を名乗っていると考えられる。

 話を本筋に戻して、吉田茂が日本国の代表として条約に調印した時、日本が復活した。で、滅んだ国が復活すると聞いて連想するのが後漢だ。

日本国が亡びる時

 中国史の話になるけれど、あちらでは幾多の王朝が生まれては滅んだ。中国を統一した王朝に限定すると、滅んだ国で復活したのはただの一例しかない。それが光武帝(劉秀)の建国した後漢だ。光武帝は、たしかに前漢の創始者である劉邦の子孫だった。しかし、前漢滅亡時の皇帝とはきわめて遠縁の間柄だ。不正確極まりない言い方だけど、足利尊氏と新田義貞ばりに血の繋がりが薄い。自分を初代とする新しい王朝を樹立して不自然さはなかった。それでも、光武帝は国号を「漢」と定めた。後漢が前漢を継ぐ国だと宣言した訳だ。ちなみに、前漢も後漢も後世の人間が使う呼称で、どっちの国も存在していた頃の呼び名は「漢」ね。ともかくも、これは滅んだとしても、その名を継ぐものが現れる限り、国は歴史の彼方へ消え去ったりしないという実例だ。

 歴史ってのは、過去についての物語であると同時に、現在の世界を成り立たせる土台でもある。紀元三世紀に後漢が滅んだことで、今は漢なんて国、存在しない。現代の中国人(いわゆる漢民族)は、よもや前漢や後漢をアイデンティティの源と考えたりしないだろう。自分たちの暮らす土地に、かつてそんな名前の国があり、身も知らぬ縁遠い人々が生きていたと思うのが関の山じゃないかな。だから、日本とは、日本人とはって考える際、「日本」という国号に注目するのがいいだろう。万が一、日本に再び亡びの日が訪れるとしたら、国号から「日本」の二文字が消えているはずだ。日本が亡びる時とは、「日本」が歴史の一コマを表す言葉に過ぎなくなった時だ。とっ散らかった記事になったけれど、今日は(今日もと言うべきか)思うところを書き記した。

 

 

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