禁酒100日にして陶淵明を慕う

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ついにやったぜ100日の酒断ち

 つい半年ほど前までは、酒呑まぬ日がなきに等しい生活だった。それがどうして、実家暮らしに戻ってからは、徐々に酒量が減っていき、ついには禁酒100日超えと相成った。これ、何かを祈願して100日の酒断ちならば御利益もあったろうけれど、何の気なしに始めた(止めた?)だけなんで、当然ながらいいことなんぞある訳でない。強いて言うなら、以前の記事に書いたとおり、寝起きに体のだるさがなくなった(頭がスッキリしてるとは言っていないよ。悪しからず)くらいなものか。まあ、だるさから始まる一日じゃないという点では、QOLが上がったかもしれない。あと、やせたね。ウエストが5から6㎝ほど細くなった。ただし、昼飯をほぼ食べていない生活になったのも関係してるんで、禁酒の効果だけとはいい難い面もあるけれど。

 昔だったら、これを記念して、

「禁酒100日達成の祝杯を挙げるぞ。酒を持てぃ」

などとやっているだろうけど、生憎と手元に酒がないせいで、それもできない残念無念。なんというか、酒は有ったら有ったで吞む、なければないで呑まないという姿勢でいいんじゃなかろうか。そういう意味で、陶淵明(陶潜)の名前を表題につけた訳なんだ。

酒とニートの詩人

 陶淵明(陶潜)は東晋から(南朝)宋の時代にかけて生きた詩人だ。酒で有名な詩人と言えば李白が真っ先に思い浮かぶんだけれど、それより前の時代はこの人が代表格だった。ひいお祖父さんは当時の大人物だった陶侃という人。ゆえに陶潜は、今風の言い方をすれば「勝ち組」だとか「上級国民」だとかに属することが可能な人物だった。ところがこの人、立身出世や蓄財に興味がなく、(おそらく)親から引き継いだ資産で簡素に暮らし、自由気ままな生涯を送った。

 『晋書』隠逸伝には「以親老家貧、起為州祭酒」とあり、和訳すれば「親が年老いて家が貧しかったから、州の祭酒(現代風に言えば地方公務員)として就職した」となる。しかし、陶潜は本当に貧乏だった訳じゃない。その証拠に、僮僕や門生といった使用人や田舎(郊外の別荘)の存在が当該史書に見える。勝ち組や上級国民にしては貧しい程度の生活レベルだったと考えるのが正しい。現代ならば、さしずめ「大政治家のひ孫だが、小規模なマンション経営の不労所得でつましく生きている人」という感じかな。彼は勤め人生活が性に合わなかったらしく、役人になっては短期間で離職するというのを複数回している。だから、人生の大部分はニートだった訳だ。ある程度は資産があるんで、ぜいたくしなければニート暮らしができる。うーん、羨ましい。

 

 

 さて、この詩人、酒にまつわる詩が多い。ストレートに「飲酒」という題の詩があるし、中には、息子たちの出来が悪いのは天命だというなら、仕方がないので酒を呑むなんてのもあったりする。息子たちからすればスゲー嫌な形で歴史に名が残る訳だけれど、第三者からするとユーモラスで面白い。詳しくは「責子」という詩を読んで欲しい。で、陶潜の酒に対する態度について語ると、まさにあれば吞む、なければ呑まずというもの。さらに、吞むとなったら酒が尽きるまで酔うまで。何て言うか、清々しいね。

 昔は酒が貴重品だった。技術と設備が揃っていなければ、酒というか、当時のスタンダードだった醸造酒は造れない。だから、ちょっとした資産家程度の陶潜にすれば、毎日酒だ酒だという訳にはいかない。しかし、それはそれとして、酒を嗜んでも執着はしないって態度が一種の格好良さを醸し出しているように感じられるんだよね。自分の意思で楽しみをコントロールしているというか、自制の効いた歓楽の尽くし方というか。呑兵衛としてあこがれるよ。

 禁酒もそろそろ終わりにして、近いうちに酒を口にしようかな。ただ、以前みたいにだらだら呑むんじゃなくて、陶潜を見習って「楽しむために」味わおうと考えている。

 

 

 

 

 

 

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