知的という表現についてのたわ言

よもやま話
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 ある人を知的か否か判断する際の基準は何か、について考える機会があった。そこで、思うところを書いてみる。

 一般的に、知的と呼ばれる人は知識が豊富だったり、頭の切れる人だったりする。確かに、そうかもしれない。しかし、有識者がすでに語っていて、その二番煎じになるかもしれんけれど、未知の物事に出会った時に、

「これは一体何だろう」

と興味関心を持って考えたり、調べたり、人に訊いたりする人物が知的で、

「知らない。分からない」

で済ませて深く思いを巡らせない者が知的でないと言う方が、妥当じゃないかと考える。なぜならば、物事を深く考えず、調べもせず、人に訊いたりもせずに知識豊富で頭の切れる人はいないからだ。ま、強くてニューゲームだとか、なろう系な人だとかは除外してね。

 無論、ルネサンスの頃じゃあるまいし、あらゆる領域が細分化された現代に「万能人」なんていないから、ある分野には知的でも、別方面には知的でない人なんてざらにいる。だから、相対的な意味での知的な人物、そうでない者という区別で以下の話に続くんだけど、知的な人と話すと、

「甲について調べた、乙について考えた云々」

なんて言葉がポンと出てくる。反対に、知的でない者は、

「何でそんなこと知ってんの?」

と質問してきて、調べた、考えたなどの回答を口にしようものなら、そういう行為自体に驚く。それで色々と考えさせられる訳さ。何なんだこの落差はと。

 暴論かつ極論の類になるのは承知で、知識の獲得や発想力の鍛錬以上に、積極的に考える、調べる、人に訊ねるといった行動が幼少時から称賛される環境を整えておくと、知的な人間が生まれるんじゃないだろうか。

 オッサンになると、どうしても過去と現在を比べがちになる。で、過去と比べて今はどうなのかといえば、格段に考えやすく、調べやすく、人に訊きやすい世の中になっている。その根拠は、当然ネットの発達だ。ネットですべて事足りる訳じゃないけれど、自分の考えを検証したり深めたりするための材料、何から調べていけばいいのかという手掛かり、今眼前にある試験問題の答えを「至急」と強調して○○知恵袋に投稿すれば返ってくる上から目線的なお言葉などに、簡単に触れられる。平成初頭じゃ想像もできない。最後のは、例として不適切か。まあ、いい。国が社会がという大きな括りでなく、家庭や学校レベルでいいから、取り組む人々が増えると面白そうだ。たわ言だけれど、自分じゃ試す価値ありと思うぜ。

 

 

 

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